子育てしていると
自分の幼い頃どんな風に育ったか
これが「参考書」になったりしますね。
”参考”だから
私の育ち方が「教科書」=模範、ってことじゃないです。
参考にして思いを巡らす。
多角的に考えられると切羽詰まりません。
参考にする=対比する、って大切ですね。
横道にそれるんですけど
スピリチュアル系の
「比較しない」
「あるがままの自分を絶対視」は
私には!あまりそぐわないです。
というのは、
私が
「人と比較するな」
「自分がどう思いどうしたいかだ」
という教育方針で育って
そのために結構苦労したんですよね。
(その逆の方もいるんだろうな〜)
私は父母と違って
他の人と違和感のないところにいるのが心地よいタイプなので
「自分の思い」よりも「他の人の思い」を優先させていたい。
それは
自分をないがしろにするとか
自分を犠牲にするとかには繋がらないです。
周りが自分に注目しないうちに
そっと自分の本当にしたいことをしたいから。
周りを刺激したくない!んですよね。
「平和があって自分のしたいことができる」
↑
これが私にはプロット(予めインプット)されている。
なので、
まずは他の人と自然と協調しています。
これラクです。
学校でも仕事でもどこでもすぐに打ち解けて
目立たずそれでいて好感度よく。
だから会社勤めとか大好き!
父も母も人に使えるのは苦手。
どちらも自営です。
私が
「平和があって自分のしたいことができる」
なのに対して
父と母は
「自分のしたいことができなければ平和じゃない」
そんな感じです。
対照的な彼らの教育方針に沿って生きていた時は
自分のタイプに合わないことばかりで苦しかったですね。
彼らは彼らでまだまだ封建的な時代に育っていて
自分を主張することを大切にしたくて
子どもの私にはそれを教えてあげたかったんだと思います。
反動ってありますもん。
親ですから自分がされたくなかったことはしたくない、
愛情ですよね〜
さて話を戻して・・
私の幼い時は
長女ということもあったし
父母がすごーく若かったので(ヤンパパ・ヤンママ)
「良い子」「手の掛からない子」を求めていた気がします。
それは当たり前かなと思います。
私もできれば娘にはそうあって欲しいです。
面倒がないですもん。
私だって「良い子」でありたかったし
「良い子」になりたかったです。
周りに注目されたくないタイプだったので「良い子」は必須。
私自身がそうでありたかった。
だた、
「良い子」=「間違うことがない」
という図式ができあがっちゃって
「自分の間違いを認められない子」になっちゃった。
私「ごめんなさい」が言えない子だったんですよね〜
これは苦しかった。。。
自分のハートに素直になれないってキツイですよね。
「周囲に協調していたい」という素直なハートが
父母の前では出せなかったのと同じように
「ごめんね」「間違っていた」という
素直な思いを表現できなかったのはつらかったです。
「良い子」でいたいという正直な気持ちと
「ごめんね」を言いたいという正直な気持ちが
ぶつかっていた。
なーんてこと!
当時の私にわかるはずなく
自己嫌悪とでも自己否定したくないという
反発する激しい感情に悩みました。
「ごめんね」と言ったからって
周囲に注目されるなんてことはないんだ。
と「ごめんね」を言えるようになってわかりました。
なので、
まずは「ごめんね」が言える子に。
そう思って
自分が率先して
娘が乳児の頃から娘に対して
「ごめんね」を言うようにしてました。
そのせいだけじゃないと思います
元々の娘の素質なんだと思いますけど
娘は「ごめんね〜」が言えるので
よかったなーと思います。
親ができることなんていくつもないから
コレだけは!と思うことは
与えてあげたいです。
これが後々
「私はそうしてもらいたくなかった!」
と言われるかも知れませんけどね(笑)
☆
前回の「春ですよ〜」(田中邦衛)は
コロナの暖房のCMですよ〜^^

